巡りあるき

うたひながら夜道を帰るからつぽのひだりの胸に風がはいつた

祝満願!豪華ゴマダレ天モリ蕎麦海苔つき!!

  f:id:miyasakihiro:20131118113850j:plain盆栽自慢

11月のある日、秩父札所16番無量山西光寺と23番松風山音楽寺にお参りしてきました。

西武秩父線各駅停車、西武秩父駅現地集合。この日はお弁当なし♪

  f:id:miyasakihiro:20131118114314j:plain西光寺の菊

16番そばの蕎麦屋で昼食!今回のお参りで満願成就がお二人。その満願祝いを兼ねての、豪華ゴマダレ海苔付天モリ蕎麦!!満足・満腹で満願の23番音楽寺へ。

  f:id:miyasakihiro:20131118113829j:plain白菜漬の準備

音楽寺は荒川の向こう岸にあり、「ハープ橋」を渡りきるとすぐ、長尾根丘陵上り坂

  f:id:miyasakihiro:20131118131233j:plain  荒川

緩くカーブする車道を少し歩くと、見覚えのある巡礼道の道しるべがある。

さてどちらにしようか…「きっとこっちが近いよ、でもきつそう《エーッ》(>_<)

で、車道に決まり。

       f:id:miyasakihiro:20131118132606j:plain巡礼道

でも途中、秋色深い巡礼道が見えると、健脚組はスタスタそちらに回る。

 

納経所で御朱印をいただいてから、観音堂にお参り。皆で般若心経を唱える。

満願のお二人の声はいつもより張りがあるなあ…。私はあと一寺、残すところ三番。

リーチ!かかった(^^

こちらでは、御朱印をとてもゆっくり、丁寧に記して下さる。

満願叶った友が、その事を伝えると「よくお勤めくださいました…」と静かにねぎらいと祝福の言葉をかけてくださった。

                f:id:miyasakihiro:20131118133514j:plain音楽寺への坂道

観音堂の前庭から荒川、秩父市内が見渡せ、日々削られて姿を変える武甲山も見える。23番松風山音楽寺。う~ん、オトに関係深そうな…。

この寺の梵鐘は自由に撞いて鳴らすことができる。

鐘楼のそばに「秩父困民党無名戦士の墓」碑がある。

  ―われら秩父困民党 暴徒と呼ばれ 暴動と言われることを 拒否しない―

  音楽寺

明治17111日深夜、小鹿野を襲撃し占拠した困民党軍は、翌2日早朝諏訪神社(小鹿神)を出発し、大宮郷に向けて進撃を開始した。途中、田村郷・円福寺脇の山道を入り、そこから小鹿坂峠を越えれば札所23番・音楽寺の背後に出ることができる。大宮郷を眼下に一望できる音楽寺に向けてこの峠を上って行ったときが困民党軍が最も力強いパワーをもっていた時かもしれない。

現在でもこの峠はほとんど手を加えられることなく残っており、音楽寺と田村との間を歩いて行き来することができる。

2日午前、小鹿野から田村郷へ入った困民軍は、そこから小鹿坂峠へと進み、大宮郷・秩父盆地を一望できる23番札所・音楽寺に到着する。

そこで柴岡熊吉ら斥候の「大宮郷へ進軍せよ」の合図となる鉄砲2発を聞き、梵鐘を乱打すると一気に音楽寺の前の坂を駆け下り、荒川を渡り、大宮郷中心部へとなだれ込んでゆく。

 

 

しかし困民軍は、群馬県山中谷をへて長野県南佐久まで転戦したが、119日に壊滅する

各地の戦闘での戦死者は、困民党側で25名を超え(正確にはわからない)、警官が3名、他に無関係の婦人1名が亡くなった。

事件後の裁判の結果、死刑7名を含む4000名余が処罰され、事件は「秩父暴動」と呼ばれて、郷土の恥ずべき歴史として記録された。  http://www.chichibujiken.org/より                             

 

この梵鐘、自由に鳴らしてください。ただし静かに…。

 

ふと、前ページ 熊野比音山清水寺「泊の鬼退治」を想う。

明治政府にしてみれば、困民党も秩父に棲んで、民を苦しめた鬼 なのだろうか…。

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秩父は江戸時代後半から養蚕が盛んに行われた。明治になって、絹は重要な輸出品となり、群馬、秩父、八王子、横浜をつなぐ絹の道(16号線・八高線・横浜線)を通って、秩父は海外とも繋がっていた。

       f:id:miyasakihiro:20131118112725j:plain秩父神社参道のすてきな煙草屋さん

 

 

鬼って、人でも物でも妖怪でも怨霊でも…ない。意外と単純でコロリと騙されちゃったり…喰われるかと思うと、しっかり守ってくれたりする…。

なんか、癌に似てるかも…。

ある人が、「癌は、自分のために自分が自分の癌になる。」って言ってたっけ…。

 

さて、帰りのバス時間が迫る。なので太極拳はあきらめ、観音堂右奥、竹林に囲まれた急坂を一気に駆けのぼり、十三地蔵尊へ。お地蔵さんが並ぶこの小鹿坂峠から北に、小鹿野(おがの、南に秩父盆地、武甲山・双子山が見渡せ…るはずだった。が、木々が繁り何も見えないよ~(+o+)お地蔵さんが静かに微笑んでいた。

峠の向こうには、恐竜や貝、蟹の化石がザクザク?出る秩父古生層“ようばけ”がある。

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明治17年11月困民党の戦士たちはどんな思いでこの坂道を駆け下りたのだろう…。