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巡りあるき

うたひながら夜道を帰るからつぽのひだりの胸に風がはいつた

神内(コウノウチ)神社  ―熊野(6)

神内(こうのうち)神社は子安の神様。

入口の鳥居をくぐってすぐ、人間の赤ちゃんくらいの岩を抱き込んだホルトの木があり、子安の木と呼ばれて、子安神社の由来を物語っています。

 

陽は沈み、こんもり暗い 森…。

せせらぎに沿ってまっすぐ、西に向かって参道がのびている。

もう殆んどシルエットになってしまったぶ厚い森の奥から

声…のようなものがわーんと湧き上がっている。

 

神域は程よい手入れがされて清々しい。今まで参ったどの神社とも違う…^^;

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              人がやっとひとり通れるくらい                      

行く手を鋭くとがった大きな磐が道をふさいでいます。人が一人通れる位の道がこの剣のような磐をまいて、神社の入り口に通じていますが、すぐ左は膝くらいの深さの川です。並んでひとりづつ通るか、川のなかをじゃぶじゃぶ入って通るしかない。入りにくい神社ですね~。

正面の鳥居の前に来ました。右に参道を閉ざした鋭い磐、左もそれと同じくらいの大きな磐があり、入り口は二つの大きな磐にはさまれています。後ろはすぐ階段になっていて、その先は少し深めの川で橋はありません。川は堰き止めてあり、先ほどの細い道にそって、流れの中にスロープが作ってあります。禊ぎ場のように見えます。       

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                        後ろ正面の禊場

  切っさきのごとき岩戸とせせらぎに鎮めらるるか荒ぶるおんかみ

  ほとひらきうましうましと産みつづけ身うごきならぬよのうこうのうち

  のしあがりからみつきぬけつつみこみ楠のそりのそりいきてゐる

  なんとなし同志のようなここちもしてこやすのかみとゆるり太極拳

  ゆつくりと楼膝拗歩(ロウシヤァオプ)手揮琵琶(ショウホェ ビバ)徐々に徐々にすきとおつてゆく

拝殿は無く、寄り合いやお籠もりに使うらしい和室と、社務所のある長屋門のような建物の向こうが、柵に囲まれた御神体です。ところどころ大きな穴のある巌の下方に三角の割れ目があり、その前に白い玉石が敷き詰めてあります。この巌の裂け目を含む、この場全体が神域なのかな。

巌の頂上は周りの巨大な楠や他の常緑、広葉の樹々にさえぎられて見えません。すごいなあ…すごいなあ‥とそればかりです。

神域には楠の巨樹が大きな岩を巻き込んで立ちならび、木の幹なのか磐なのか根っこなのか見分けがつきません。

岩(ガン)と共に黙って生きて何千年…?凄いな~

 

何か大切なものが厳重に閉ざされ

外に溢れ出ないように鎮められている。

それが、この土地の人々に守られつづけ

今もここにある。

 

とてつもなく杳(とお)いものが今ここにある。

時間はながれつづけているはずなのに

遥かな時間が凝縮されてすべてここにあり

私は今

その場に立っている‥

 

太極拳でもやるか‥ということになりました。

 

神内神社は(コウノウチ)と読み、ここはもと神皇地(コウノチ)と呼ばれ、後に神内村(コウノウチムラ)と改められたそうですが、呼び方にこだわりを残すこの社は文字に記された歴史のずっと前から、人々にとって大切な場所だったのではないでしょうか。特別な形をした磐があり、水が流れているところとして…。

 この大きな巌の全体の姿が拝見できないかな~と思い、参道わきの川に沿う道をたどり、神社の西に開けた水田に出てみました。振り返って思わずオー(^O^)と声が出ます。大きな大きな女の人が眠っている!!深々とした常緑広葉の森を布団のようにまとって、とても気持ちよさそうです。まつ毛もちゃんとある!!!

この姿を見たら、きっと誰しも大切に守りたい気持ちになる…、そう思わざるを得ないお姿でした。

コウノウチと川とのつながりには強い必然を感じましたが、神域に〈火〉を示すものは具体的には見当たりませんでした。でも杜(もり)全体から湧き上がる〈熱〉のようなものを感じ取ることはできました。

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神内神社にはどんなお祭りがあるのだろうとぼんやり考えつつ、時間さえあれば、いつまでもぼんやり座り込んでいてみたい所だな…と思いつつ、杜を後にしまた。  

(陽が落ちてたどり着いたので、写真がほとんど駄目でした<(_ _)>)

  コウノチの森の気配に息あはせただに舞ひたり斎庭は深し 

 

 旅のあと写真やその他を整理しながら、神内のキーワードは火と水ではなく陰と陽のほうが良いかもしれないと思いました。杜の西側から拝した姿はいかにも安らかに眠る女性のようでしたが、見方によっては全体が男性を表している様にも見えます。

それにしても…、どこまでが陰で、どこまでが陽なのだろう…。