巡りあるき

うたひながら夜道を帰るからつぽのひだりの胸に風がはいつた

もしかして花の窟って道祖神?  熊野―⑺

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  うみ鳴るかやま鳴るかおおおおおおお~七里御浜は泡吹く高波

長い長い七里御浜の端(ハナ)で、黒潮のうち寄せる浜を見守る白い岩壁が花の窟(いわや)です。真夏の太陽が照りつけ、まともに見上げられないほどのまぶしさ、ここも特別の場所のようです。

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花の窟は「紀伊山地霊場」として年2回の「お綱かけ神事」と共に世界遺産として登録されています。日本書紀に「イザナミノミコトのお墓として祭る」と書かれているようですが、私はこの場所はお墓より海の神の娘、豊玉姫のお話の舞台の方が似合っているのにな~と思いました。

  くにびとの手で綯いつなぎ縒りあわすあまと窟(いはや)とひととのきずな

  大綱(おつな)はり季節の花々賑はしく捧げ供せり杳(とほ)き代のまま

  寄せる波わたるうみ風み綱ふるふるふきかへせ息ふきかへせ

神社の案内によると、「大()綱かけ」は毎年二月二日と十月二日に行われ、お綱かけに使われる縄は、地元の方々が藁で一本一本縄を綯いつないで準備されるのだそうです。手で綯った縄を七本撚り合わせ、その縄に季節の花々や扇を飾り、窟のてっぺんから七里御浜までをかけつなぎ、舞やうたを奉納するそうです。 

まつりの後、綱の先は神社入り口のコンクリートに巻きつけるが、以前は太い松ノ木に括り付けていたそうです。江戸時代の絵図を見ると綱は七里御浜の松原の先に伸びています。二見が浦の夫婦岩は大小二つの岩が繋いでありますが、花の窟のお相手は浜?(海)なのでしょうか?イザナミのお墓がなぜ海とつながるのかな…。

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お祭りの様子を写真で見ると神社のお祭りというより、沖縄や全国各地にある綱引き行事に近いものがあり、自分の体験で言えば、小正月にやったどんど焼きが思い起こされます。藁を持ち寄り、どんどを作って杉の葉やお正月飾りで飾り立て、火をつけて焚き上げる。花の窟はお焚き上げはせず浜(海?)につないでそのまま残しますが、何かが同じような気がします。

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         2009/10/2  大綱かけ

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神内神社もそうでしたがこの花の窟も、全体としては神社というより、道祖神に近い。大きな道祖神という感じです。

鳥居をくぐり参道を進むとまず、大きな丸い石が見えます。直径1メートル強の丸い石が手水舎の脇で、しめ縄を頂いて苔むしています。なぜここにほぼ球体の丸い石?

国道から見上げた花の窟のところどころ大きな穴の開いた垂直な岩壁と、全く異質な形なので、あの石は手水舎を作るとき庭石として運んで来たのかなと思ったくらいでした。

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土地の人の話では、この丸い石はもと窟の前にあったもので、イザナミさんの前にこの石では余りにもあけすけだからここに運んだのだという、確かに写真を良く見れば男根のようでもある。ますます道祖神らしいお話だ。

ここも拝殿は無く、ご神体のすぐ前まで進んでお参りできます。浜木綿の咲く神前には白い平らな玉石がたくさん敷き詰めてあり、石には願い事が書いてありました。神内神社にあったものより大ぶりな玉石です。

  f:id:miyasakihiro:20090714095810j:plain 手の届くところに玉石 

  f:id:miyasakihiro:20090715113334j:plain セッコク

真っ青な空に白い雲が流れ、岩壁の上のほうにはセッコクの花が咲いています。お綱が浜からの風に大きく揺れて、この綱に季節の花々や扇が飾られていたら、イザナミさんが喜んで、綱を振っているように見えるでしょう。

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   f:id:miyasakihiro:20090714102901j:plain カグツチ

このイザナミの命の墓に向かい合うように、カグツチの神が祀られています。イザナミさんはこの火の神カグツチを産んだ為、ホトを焼かれて死んでしまったと日本書紀に書かれています。それにしてもこの場にずっと向かい合って何万年…お互いどんな想いだったでしょう。

  うち寄する波のまにまのしらたまの玉石敷きて妣(はは)にたむけん

  わたつみの浜の玉石ひろいつつ友らの病(やまひ)癒ゆるを念ず

思いついて私は、すぐ脇の波高い七里御浜に行き、真っ白でなるべく丸い玉石を拾い集めました。そして大きな石二つに、願い事を書き、イザナミさんに納めました。

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花の窟では、水(海)がややあいまいですが、火ははっきりと出てきました。火の神カグツチを産んで命を落としたイザナミノミコトをまつり、お綱を架け替え季節の花を捧げる行事を年二回、この土地の方々によって繰り返されて来たこと。

七里御浜に出ると黒潮の波が途切れることなく打ち寄せてきます。照りつける太陽の中、浜薊の鮮烈な赤紫が眼を捉え、砂浜には窟の白い岩壁を見上げるように、小さな藤色の花が咲き敷いて、淡いかおりを漂わせていました。

  f:id:miyasakihiro:20090715115005j:plain 七里御浜  

  f:id:miyasakihiro:20130825151938j:plain 東尋坊

―この藤色の花が、昨年福井の東尋坊に行ったとき、全く同じ香りで断崖の上に咲いているのに出会いました。何の不思議も無い、よくあることかもしれませんが、うれしくて夢中で写真を撮ってしまいました―

  ときめくは東尋坊の断崖に紀伊の御浜の花に遭うとき

      。。。。。。。。。

一昨日「アクティビスト南方熊楠」で、中沢新一氏が<村内に散らばる無数の祠や磐座は、ヒトの道徳をはるかに超えた生成力・生命力としてのカミと繫がる場として村民に大切にされている杜だった>と話していたが、熊野を巡り歩いていて何となく感じていたことが、少し腑に落ちる気がした。

開始前、資料の神社合祀年表を見ていると、三重県は日本一合祀が推進された県とあった。2位の和歌山県が87%というから、どれほどの杜が減少してしまったのだろう…。そういえばこれまで巡ったところも、拝殿や本殿が無かったり、仏教?なお寺だったり…だったなあ…と一人合点していた。

後半の、國分功一郎氏との対談で、ヒトのソトとつながるアーキテクチャーとしての視点も示唆され、興味深かった。また、

N このところの大雪で、身近なところにある裂け目を体験した人は多かったんじゃな

  いかな。

K 連日の雪掻きで、いつの間にか町内会長にされてしまいましたよ!(笑)

は愉快だった。私の町でも、一斉に外で雪掻きをしながら、おおいに近所づきあい^^;が弾んだから…。