巡りあるき

うたひながら夜道を帰るからつぽのひだりの胸に風がはいつた

久高島の3月 (2)

f:id:miyasakihiro:20140319172950j:plainアダン(防風・防砂・食用・薬用)

宿泊交流館は夕食がついてないので、荷物を置いて食事のできそうなところを探さなければ、手持ちのパンとお菓子で過ごすしかない…。

なので、フェリー乗り場で見つけた「神の島久高島猫の巻マップ」を片手に島内を巡る。

石垣や生垣に囲まれた家々は、徳仁港のある島の西の方に集まっていて、フボー御嶽(うぷたき)やアグルラキ、貝塚など2000年以上昔の先人たちの住んだ場所は、島の北辺地区に集中している。前日セーファ御嶽から見えたように、島はほとんど平らで、生えている木々も背の高いものは少ない。

f:id:miyasakihiro:20140319171652j:plain白い砂の畑

手前はサツマイモ、向こうは落花生かな。どちらも砂地が大好き。サツマイモは今この大きさだと、6~7月頃にはできちゃうのかな?

f:id:miyasakihiro:20140319173731j:plain大里家(うぷらとう)

f:id:miyasakihiro:20140319174230j:plain

うぷらとは島の始祖家の一つ。アプローチと前庭に白砂が敷いてある。質素で清々しい。右の白い壁は拝所で、イザイホーの時、イザイニガヤー(新しく神女になる女性)が御願立(ウガンダ)の日にお参りをする。

f:id:miyasakihiro:20140319174032j:plainヒメキランソウ

うぷらとうの石塀の足元に生えていました。葉に艶があり輝いていました!私はこの花が大好きで、ボランティアでやっている病院の庭の一角にも植えました。

f:id:miyasakihiro:20140319174311j:plainホソバワダン(ニガナ)

大里家の前の畑に、以前セーファ御嶽でタクシーの運転手に教えてもらった薬草のニガナが栽培されていました。イザイホーの四日目最後の日の御願結び(シデガフー)の後宴で出されるご馳走に使われる。今もスーパーなどで売っている、沖縄で親しまれている薬草。

f:id:miyasakihiro:20140319174513j:plain畑の土は当然砂地。

徳仁港の近く、貸自転車屋の隣に食事処を見つけました。営業時間を確かめて、もうひと巡り。

久高島猫マップを見ると、イザイガーやミガー、ウプシガーなど、カーと呼ばれる井泉は、本島寄りの岩礁地に点在しているらしい。外洋に面した島の南側にはところどころ砂浜があるようです。やはり…生えている植物が気になりますが、あまり時間もないので、近くのカーと呼ばれる井戸に行っても見ようという事になりました。

f:id:miyasakihiro:20140319171201j:plainはんちゃたい

集落の道はぐるりと廻っているらしく、同じところに2~3回出てしまう^^;

ここはなんだか不思議な感じがした場所。マップには天と地をつなぐとされる石が置いてあると書いてあるけれど…。

f:id:miyasakihiro:20140319173240j:plain

この拝所は特に近寄りがたい感じがしました…思わず、手を合わせました。

 

f:id:miyasakihiro:20140319174643j:plain御殿庭

イザイホーの主祭場になるところ。真ん中が神(ハン)アシャギ。左がイラブ―(海蛇)を燻製にする小屋(バイカンヤー)。右が島の始祖シラタルを祀るお宮。

イザイホーが開かれる時は、手前の庭にイシキ浜から運んだ白砂を敷き詰め、ハンアシャギをクバの葉で覆って七つ橋を作り、ハンアシャギの奥の森にはイザイニガヤーたちが籠る七ツ屋が作られる。

f:id:miyasakihiro:20140319175122j:plainなんか迫力ある^^;

うどんみゃー(御殿庭)を後にして、海沿いの道を歩いていると、軽トラに乗った島の男性に呼び止められ「その道を行くとお墓しかない。そちらにはいかない方が良い」と言われました。「軽率だったかな」と恐縮して引き返しました。

(確かに家のお墓をよその人に興味本位で見られるのは、私だって嫌だろうな…。御嶽やお墓に向かっていた訳ではなかったのだけれど…すみませんでした。)

f:id:miyasakihiro:20140319175849j:plainテッポウユリ(鱗茎を食用)

うどんみゃーの奥、七ツ屋のたてられた場所?に咲いていた。

f:id:miyasakihiro:20140319175942j:plain

注意されて戻った道。左のずっと先にフボー御嶽があるらしいです。