うつす・うつる・うつは・うつろ・うみ
少し前、吉増剛造さんの「蝶の翅・別の声」に立ち会いました。
震えは今もおさまらず、つぎつぎに眠っていたモノを呼び覚まし、思いがけないところから声がかかる…
吉増さんは途中「うつすって何だろう…。」とつぶやきました。
震災後、吉増さんは必死に読み直し、書きうつしを始めたそうです。
その中で、吉本隆明さんの詩の未整理のものは、恋歌等あってとても面白く3年間真似をし続けた。大変だったが、何回も書きうつすことで「新たに分かったことがあったのよ!」と目を輝かせて語り、そして、心のバランスを崩した島尾ミホさんが、ふるさとの奄美に移って自分を取り戻し、また、夫の島尾敏雄氏の原稿を清書してゆく過程の中でも治癒して行ったというお話につなげました。
いみのやみ いみうむやみの やみのうみ いみうむやまひ いみやむやまひ
いま妹は 海にむかひて熟睡(うまい)する うみうたうたふ いもはいまうみ
ひろ
まさに、龍がさっと降りてきて立ち去った後のように、藪は巻き上げられ、あるべきものだけがそこに残った。「モノガタリとか話の筋で残るのじゃなく、それが…ねえ、一種の直観の…直観のかたまりみたいなもの…。」と…
島尾ミホさんも、島尾敏雄氏も初めて聞く名前でしたが、何気なくノートを繰っていて、2013年の3月に―「棘が人生の小川をぎっしりと流れている」吉増剛造―という雑誌の切り抜きを見つけて驚きました。
その詩は2007年3月に、島尾ミホさんの急逝に出遭ってしばらくしてつくられたものでした。
・・・
まるで山中の迷家(まよいが)から持ち帰って来なかった、立派な塗りの
椀(わん)が、そのひとの家の
前に自分で流れて来て、持ち帰らなかった人の心を、驚かせたときのよう
に……
・・・・
―棘が人生の小川をぎっしりと流れている―より