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巡りあるき

うたひながら夜道を帰るからつぽのひだりの胸に風がはいつた

藤波源信大阿闍梨のお加持

腫瘍マーカーが基準値を超えた。2度目だ。昨年来身の回りがあわただしく、食事も気功も歩きも〝できごと〟の重大さに押しやられ、二の次三の次になってしまっていた。

黒丸のついた数字を見て血の気が引いてゆく…

自分のことじゃないと思ってみる…

相変わらずの足もとの軟弱さだ。大丈夫のつもりでいたが、体からは赤信号が出た。う~ん、また一からやり直すのか…と思うと憂鬱になった。

で、考えた。前回の時は旅先の宿のクーラーで眠れず、体を冷やした覚えがあったので、体を温め眠りたいだけ眠った。今回は目の前の〝できごと〟の重大さに“やるべき”と“やりたい”が一つになってしまい、癌手術以前の私にすっかり戻ってしまっていたので、≪自分の体が喜ぶ、やりたい事をやる≫をやることにして、跳ね上がったマーカー値をとりあえず、自分に受け入れた。すこしだけわくわくした。

ふっきって外に出て癌友(ガントモ)に会い、写生に集中し、展覧会や講演会に出かけた。仲間と始めた札所めぐりも、きちんと“おいずる”を着て歩くと決めた。そしてやってみたかった帯津先生のホメオパシーもお願いして、分厚い問診票に取り組んだ。一つ一つの問いに答えながら、自分の今の状況が少しずつ見えてくるような気がして、あ、帯津先生のホメオパシーってこれがキモかな…?^^;と思った。

しばらくして、やると決めたときから、数値のためになんかやっていないらしい自分に気づいた。

再々検査で数値が少し下がった事を先生に報告できた日、比叡山千日回峰行を満行された藤波大阿闍梨(あじゃ)にお会いすることができた。数々の荒行を成しとげた阿闍梨は比叡山の森の霊気をまとい、意外にもはにかんだようなやさしい笑顔で病院の道場に現れました。

帯津良一氏との対談は、一病息災、毎日の繰り返し日々の積み重ねが不動心を作る等々しょっちゅうゆれ動いて危なっかしい私にはとても薬になるお話しでした。

    f:id:miyasakihiro:20130621130751j:plain 藤波源信大阿闍梨

 

一休みして、御加持(かじ)が始まると、息を呑んだ。

静かな低い声がすごい速さで呪(しゅ)をとなえてゆく、意味はわからないがなめらかでくっきりした滑舌、意識しては絶対不可能な疾さだ。般若心経らしき「ギャーテイギャーテイ ハラギャーテイ」あたりがクライマックス…、炎が燃え上がり阿闍梨さんがお不動様に見えた。阿闍梨さんが何もかも吸い込んでいる、まるでボイラーみたいだと思った。

「そうか、どんどん通過させればいいのか…」

 

終わってお数珠をいただく。

藤波阿闍梨は「お数珠を受けるときは強く願ってください。」とおっしゃった。

欲張ってあれこれ考える。が、その時浮かんだのは「大きないのちの流れのままに…」だった。お数珠は頭、両肩にコンコンコンとお受けした。通り過ぎてほっとしていると、あれっまたいらっしゃるのかな、まさか、と思う間もなくもう隣の人が受けている。ええっ!?とお受けしたが、まったくの『無心』ただ祈った。

 

う~んこれこそアレコレお願いしないほんとうの祈り??

少し怪しいが…とにかくガンが吹っ飛んだことは確か。ラッキー♪

同列で同じ思いをした仲間と飛び上がって共に

 

「歓喜・躍動!」 

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過ぎてしまった時間は確かに、あっという間…。ですが、ゆっくり辿ってゆくとその中に、現実には今、それがそこにある事はないのだけれど、あの時のままに息づいているその場面が確かに、自分の中には存在していることに驚く。

 その場の情景、心の震え、感触や匂い…あざやかに甦るそれは、私にとって消えてしまった過去のモノではなく、今現在も私の中に息づき続けていて、例えばとっさに私が手にするもの、踏み出した足をどうするか…などという時、ちゃんと働いてくれているのだと思つています。

 入院前後から、生来のメモ癖が一段と高じてメモ帳はかなりの量になってしまいました。なのでこれから、メモ帳の整理方々今まで巡りあるいて来た折々の事に、多少のいま・ここを吹き込みながら、時たまアップしてゆきたいと思います。