観音道の隠された磐座 清水寺 -熊野⑸
二年後の2011年3月、再び観音道を訪れました。
この日はまるで靄がかかったように杉花粉が飛び、お日さまは顔をだしたり隠れたりの、はっきりしない日でした。翌日は、新宮の神倉神社に詣り、あの険しい鎌倉階段を、突風に吹き飛ばされそうになりながらよじ登りました。その日、鎌倉の鶴岡八幡宮では大銀杏が倒れ、約一週間後には、あの東日本大震災そして大津波、原発事故…。山も大地も空も海も動いている……、と実感した日々でした。
南海トラフが目と鼻の先の紀伊半島にも、目を凝らせば山が動き、海が盛り上がったその痕跡が残されているのかもしれません。
泊の清泰寺から、山上の比音山清水寺(せいすいじ)まで、猪垣を抜け清滝を拝し岩の上や木の元に置かれた観音様を一体一体お参りして、写真を撮らせていただきながら巡りました。
猪垣
こんな人いそう… ササラ?
考えてる
谷間の薬師様
薬師様の湧水
さらさらと羊歯生ふる峪に湧き出る泉のほとりの薬師観音
仏様も様々…^^;
積み重なったのか割れたのか…
地の底のマグマゆっくり笑み割れて生れたるごとし熊野のやまは
遠く鬼が城、七里御浜がよく見える。
途中にぽっかりと視界が開け、鬼が城から七里御浜までが見渡せるところに出ました。観音堂はそこから階段をのぼってすぐ。観光案内所でいただいたパンフレットによれば、この観音堂は大同4年(809)に坂上田村麻呂により建立され、鬼退治の伝説が残されていて、今は清泰寺に移された千手観音がまつられていたそうです。
お堂の中の磐座
きっちり積まれた見事な石垣
お堂の外、奥の磐座
無住になったお堂は突風で飛ばされたのか、傷みが激しくビニールシートで覆われて痛々しいお姿です。まるで中の磐座が生き返り、お堂を突き破って現れたような…。
ふるさとの民話が息づく東紀州へ その⑪
泊観音と鬼退治 熊野市
平城天皇の頃、諸国に鬼神魔王と呼ばれる鬼たちが騒ぎ立てて人々を苦しめていた。鬼退治を命じられた坂上田村麻呂将軍は、熊野にやってきたが、鬼たちは逃げ隠れ、行方も分からなくなってしまった。田村麻呂は高い山に登り、観音さまの名を一心に唱えて祈っていると、烏帽子をかぶった天人が現れた。天人は「東方の海辺に岩屋あり、多蛾丸という悪鬼立てこもれり。大悲の弓にて討つべし。我は大馬権現なるぞ」 と言うと、白馬にまたがり西天に飛び去った。
このお告げで勇気が出た将軍は、すぐに兵船で海に出た。岩屋を望む沖までは来たが、守りが固くて近寄れない。途方に暮れていると、沖の島に一人の童子が現れ、手足をあげて歌い舞う。岩屋を守っていた兵もつられ、大舞踏会になってしまった。
あまりのにぎやかさに身の丈七尺(約二メートル)もある多蛾丸も気を奪われ、思わず岩屋の戸を開いてしまった。そこを逃さず、将軍は大悲の弓で射貫いた。童子は鬼が退治されたのを見届けると、光を放ち飛び去った。
将軍があとを追うと、深山の頂上の洞くつに姿を消した。将軍は感ずるところがあり、その頂上に幼少の頃から肌身離さず持っていた一寸八分(約五センチメートル)の千手観音を納める寺を建立して治国平和の霊場とした。これが泊の千手観音様である。今、この観音様は大泊の清泰寺に安置されている。 『みえ東紀州の民話』
う~んなんか遠野のオシラ様の話のような…アマテラス岩戸隠れの神話のような…でも、なんか…ほとんど食わせて酔わせ、踊らせ眠らせ…なんだなあ…。そして、猿田彦さんといい稲背脛命といい高倉下さん、八咫烏等々…、必ず仲介するモノが現れる。この話しに出てくる、天人や童子も、この地に住む多蛾丸とも坂上田村麻呂とも距離を保つ存在のようだ。この清水寺は、鬼退治を助けた童子を祀るための寺。
お堂のすぐ前三十三番華厳寺の聖観音の横に、小さな祠に納められた自然石の馬頭観音がある。扉が閉まって中は拝見できないのだが、どんな石なのだろう。丸石かな、それとも…。
長い長い時間と人々の暮らしの痕跡が、そこかしこに実在している観音道!近くには徐福が辿りついたと伝えられる徐福の宮もある。
大同年間といえば、東北でアテルイが坂上田村麻呂に首を刎ねられたのが大同2年。大同は806年から809年までのたった4年間。この短いあいだに、一筋縄ではいかぬ東北が大和朝廷に平定され、大同4年には泊の鬼が坂上田村麻呂によって退治されてしまう。
距離的には、大和朝廷と隣と言っても良い熊野が、陸奥(みちのく)と呼ばれるほど遠い東北とほぼ同じ時期に平定されたのはなぜなのだろう。その手こずった熊野に、なぜ歴代の天皇は好んで参詣を続けるのだろう。
ちなみに、最澄が天台宗を開いたのが806年、空海が真言宗を開いたのも806年。
清泰寺の足元に押し寄せた津波と、一体一体、高所へ導いてくれている観音様たちは、ひょっとしたら深いつながりがあるのかもしれないと再度訪れたのだが、その奥深さに触れてみれば、迷いながらあの観音道の入口に立ったあの日に又、舞い戻ってしまったかのようだ。
じっと静かにそこに立つ観音様には、なんとなく人の気配がして、不思議なニュアンスが感じられる。やはり、思いもよらない亡くなり方をした愛しい者への想いが凝縮されているような気がしてならない。須磨寺で出会った、粘土に深く名前を埋めたあのお地蔵さん達のように…
小雨ふる熊野の山の常磐樹は根付きし岩をいだきて立ちぬ