巡りあるき

うたひながら夜道を帰るからつぽのひだりの胸に風がはいつた

猪苗代湖畔で彩雲に出会いました!

 9月6日7:00、友人のワゴン車で川越から郡山に向けて出発!

途中、心配した渋滞にも遭わず余裕の猪苗代湖到着(^^♪

運転手さんありがとう。お疲れ様~。  

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福島盆地の東に位置する猪苗代湖は、すぐ北に磐梯山が控えていますが、隣町の会津若松市がすっぽり入ってしまうくらいの大きさ、周りの山々もあまり高くなく周囲はゆったりとして優しい感じがします。

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この辺りは、2011年3月の福島第一原子力発電所の爆発による放射性物質飛散が、直接的には少なかったところのようですが、周辺の山々には少なからず影響があり、今までと同じように今後も注意が必要のようです。でも私はカラムシ織が大好きだし、これからも時々福島に訪れたいです。湖畔は静かでした。 

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午後からは帯津良一氏、玄侑宗久氏の講演と対談。帯津良一氏は<養生のかなめは「敬」、かなしみには人を癒す力がある>等、川越でも耳にしたお話でしたが、ここ福島で聞くことで改めて,"福島”にとってはどうだろう…と、いつもの“自分の場”から“2歩3歩外に出た場”でその意味を問い直すことができました。

福島の「敬」とは….。福島の「かなしみ」とは…。

 私は帯津氏のある言葉を思い出していました。

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  相手の歌を耳を澄まして聴く、そして - on the journey-

                     (共に旅する。)

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玄侑宗久氏は「瞑想という名の脳の使い方」という演題。去年の4月、三春の福聚寺で座禅をした時とは違い、<完全脱力状態(瞑想中)では体はどうなるか>を自ら壇上で実際に行もされてのお話でした。

えーっ完全に脱力すると外からの働きかけでは動かないの?筋肉はどうなってるの?脳をどう使っているの?と、まずびっくり!!!

その後のお話しの中に、考える糸口をいくつか示唆されたらしいので、メモします。

 

自然治癒力はいのちがもともと持っているモノ。 これを〈わたくし〉が

  邪魔している。

・脳の使い方→目線を一点に集めると思考が始まる。

 目をつむり 45度下のあたりを見る→モノを考えようとする目線               

   〃   正面か、正面よりやや上を見るとモノを考えられなくなる。

   〃   さらにこれを左右にゆっくり揺らすと間もなく眠くなります。       

・意識を一カ所に集めると「わたくし」が起動する。 

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・完全脱力している=意識がどこにもとどまらない状態

          ことばでモノを考えられない状態になる。

          意識がどこにもない状態=浄土的なあり方

・モノを考えている時、意識は脳にある。

・凝視しないで、ポンポンポンと確認するように見る。見たらすぐ離れる。

・じーっと見つめるのは正しい見方ではない。勝手な物語が立ちあがってしま

 う。タッチ・アンドリリースを繰り返すことが、正しく見るということ。

・止観  シャマタ = 公案、答えのない(思考できない)問い。

             問題を抱え込んだまましばらく生きる。

             →意識はどこかに集中。意識の主体である「私」

              は溶けるが、意識の向かった先のものだけ残る

     ビバッサナ= 意識を流動(常に変化しているもの)に乗せてや

             る。今発した音が、次の音を出す時にはもう流れ

             去っている状態。→お経を唱える

 

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           彩雲